実現したい夢がある。やってみたいことがある。でも失敗が怖くて最初の一歩を踏み出せない。そんな日々から抜け出して、新しい自分になるためには、一体何が必要なのでしょうか。

ブラインドサッカー®日本代表で参天製薬株式会社(以下、Santen)社員の鳥居健人(以下、鳥居)は、2歳で網膜芽細胞腫により失明し、以降全盲として視覚に頼らない生活を送っています。そのなかでも持ち前の好奇心を発揮し、スポーツのほかにも料理や一人旅など、様々なことに精力的に取り組んでいます。

その原点には、幼少期からの両親の育て方が影響しているといいます。鳥居とその父へのインタビューから、前向きにチャレンジし続ける心の源泉を探りました。

 

鳥居健人

  • 参天製薬株式会社/特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)ブラインドサッカー日本代表強化指定選手
  • ブラインドサッカー日本代表としてパリ 2024 パラリンピック競技大会やIBSA ブラインドサッカーワールドグランプリ(英:IBSA Blind Football World Grand Prix)等の国際大会に出場
  • Santenでは、Core Principle & CSV部門に所属

近所の友達に混ざって遊んでいた子ども時代

―幼少の頃のことを教えてください。

 

DE&Iへの思いを語る鳥居

鳥居 物心ついたときには、近所に住む同世代の子どもたちと一緒に外で遊んでいました。全盲なのは僕だけでしたが、鬼ごっこでも何でも、みんながやることは自分もやらないと気が済まない子どもでした。もちろん、最初は他の子と同じようにはできません。そんなときは、自分なりに工夫や努力をしていました。たとえば、当時流行っていたTVゲームが大好きで、画面は見えないのですが、ゲームの中の地図や膨大な数のキャラクターと使える技を全部音で記憶し、友達と一緒に遊んでいました。今思い返すと自分でも感心するのですが、そこまで徹底的にやり込んでいたんですね。

刃物を使った工作や料理、自転車や川遊びなどにも、幼い時期から挑戦していました。ケガはしょっちゅうしましたし、痛い目にもたくさん遭いましたが、できるようになったときの嬉しさが勝っていたのか、怖かったという記憶はあまりありません。

スポーツを通じて広がる出会い、人との縁が宝物

―ブラインドサッカーは、どのようなきっかけで始めたのでしょうか。

鳥居 小学5年生のときに盲学校の先生から勧められたことがきっかけでした。最初は、思いきり身体を動かせることが、ただただ嬉しかったことを憶えています。僕たち視覚障がい者は、社会の中では危険を避けるために行動範囲が限定されています。それが、ピッチの中ではどこへでも駆け巡ることができるので、本当に自由だと感じました。

練習すればするほど上達するのが嬉しくて、もっと点を取れるようになりたい、競技を極めたいと思うようになり、結果として2006年、15歳のときに最年少で日本代表に選ばれました。

子どもの頃いつもサッカーの練習をしていた、自宅近くの広場にて

―鳥居さんはご自身のことをどのような性格だと思いますか。

鳥居 あまり後先を考えずに「とりあえずやってみる」という面と、「やるからには妥協しない」という完璧主義の両面があります。後者についていうと、たとえば試合の前なら練習や体調管理をはじめ、相手チームの分析や戦略づくりなど、勝つための準備は徹底的にやります。
これらは一人でできることではありませんので、チームメイトやスタッフ、困った時に相談に乗ってくれる先輩や親友など、周囲の人の力を借りています。ブラインドサッカーを続けていて良かったと思うのは、たくさんの人に助けられながら、自分の世界が広がっていったことです。人との縁に恵まれていることは、人生における大きな財産だと思っています。

障がい者・健常者という区分けがない社会を実現したい

―Santenにはどのような経緯で入社されたのでしょうか。

鳥居 以前から、ブラインドサッカーの普及や、視覚障がいへの理解促進にかかわる仕事がしたいと思っていました。そんなとき、2020年にJBFAがSantenと10年間の長期パートナーシップを締結したことをきっかけに、Santenが視覚障がい者の雇用をはじめとするダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(以下、DE&I)の取り組みに力を入れていることを知って興味を持ち、入社を志望しました。
現在は、Santenが掲げる“Happiness with Vision”の考えを社内外に広め、Santenの企業価値を高めるためのプロジェクトを推進しています。また、JBFAが展開している「スポ育」も担当し、小学校を訪問してブラインドサッカーを体験してもらいながらDE&Iへの理解を深めてもらう活動も行っています。

小学生に対し、目の大切さや視覚障がいに関する授業を行う

―鳥居さんが考える理想のDE&I社会とは、どのような社会ですか。

鳥居 「障がい」という概念が必要なくなるのが理想です。僕は、健常者・障がい者という区分けが好きではありません。一口に健常者といっても、一人ひとり異なる個性を持ち、得意なことも不得意なこともあります。その違いと、たとえば目が見えない、耳が聞こえない、手がない人との違いは一体何なのでしょうか。

 

僕が外を歩いていると、白杖に興味をもった子どもが「お母さん、あれ何?」と聞き、お母さんは「シッ」と子どもを黙らせる、という場面によく出くわします。人生で初めて視覚障がい者に出会ったときの印象がそれでは、子どもは「障がいには触れてはいけないんだ」と思いますよね。知らなければ相手のことを想像できないし、なんだか怖いと感じたりもします。だからこそ、まずは障がいについて知ってもらう必要があるんです。

僕はもともと、目立つことがあまり好きではありません。仕事で大勢の人の前に立つ機会が増えてきたときには、「障がいのある自分を見世物に仕立て上げているのではないか」という迷いもありました。でも、たくさんの人に障がいのことを知ってもらわない限り、自分が思い描くDE&I社会は実現できないことに気付いたとき、気持ちが切り替わり前向きになることができました。

無菌管理された充填室

インタビュー中の鳥居に甘える猫のチョコちゃん。実家にはほかに5匹の猫がいる

ポジティブな未来を想像して、新しい一歩を踏み出す

―鳥居さんにとっての将来のビジョンはどのようなものですか?

鳥居 Santenが目指す理想の世界“Happiness with Vision”のさらなる浸透に向け、自分だからこそできる活動を積極的に展開していきたいです。“Happiness with Vision”の“Vision”は、文字通り視覚や視力という意味にも、未来の展望という意味にも読めます。人によってさまざまな解釈をする余地のあるところがDE&Iの考え方にも通じていて、個人的にとても共感しています。

―新しいことに挑戦したいけどなかなか踏み出せない、という人から相談を受けたら、どのようなアドバイスをしますか?

鳥居 僕の場合は、「うまくいかないかもしれない」とネガティブな未来を想像するのではなく、挑戦したあとのポジティブな未来像を想像しています。そうはいっても、新しいことに挑戦するには勇気がいりますよね。そんなときは、すでに一歩踏み出している人に話を聞きに行くことをおすすめします。僕自身も、新しいことへのチャレンジに不安を感じたときや、迷いがあるときは、すでにチャレンジしている先輩に話を聞きにいきました。実際にやっている人の話を聞くと「自分にもできるかもしれない」と思えるものです。

また、周りの人から勇気を分けてもらい、ポジティブな未来を描くことができれば、きっと挑戦に向けて一歩踏み出せるのではないかと思います。 

子どもの頃近所の友だちと遊んでいた、実家の前の路地。ここから鳥居の一歩が始まった

-父、節(たかし)さんに聞く、幼少時代の鳥居さん-

将来の自立に向けて、体験から学ぶ子育てを実践 

健人は目が見えないので、親がやってみせて教えるという普通の子育てができない、という前提がまずありました。だから、幼い頃から本人がやりたいと言うことはすべて実際にやらせてみて、体験を通じて憶えさせました。
周囲から心配されることもありましたが、危ないことから遠ざける、代わりに親がやってあげる、という発想は我が家にはありません。将来、本人が自立して生きていくためには、親が教えられるうちに何でも自分でできるようになってもらう必要があるからです。

 
無菌管理された充填室

鳥居(左)とその父・節さん(右)

身の回りのことはもちろん、刃物の使い方、火の使い方、川で溺れずに浮く方法など、最初は教えますが、あとは失敗しながら自分で憶えていきました。健人が色々なことに物おじせずチャレンジできる理由の一つには、幼少期から体験の蓄積があるかもしれません。
一方で、好きなことを極める、できるまで諦めずに努力するといった点は、親から見てもたいしたものだと思います。TVゲームで対戦しても私は絶対に健人には勝てません(笑)。スポーツで結果を出しているのも、この性格だからこそかもしれません。

関連リンク

こちらの記事もぜひご覧ください